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「今あるのは野田義治会長のおかげ」 かとうれいこを今も惹き付ける彼の魅力とは [芸能]

 


美人ママタレントとして活躍中のかとうれいこさん(46)。芸能界デビューのきっかけになったのは現在も所属するサンズエンタテインメントの野田義治会長(69=当時イエローキャブ社長)との出会いだ。短大生から人気アイドルへの道には、野田会長の大きなサポートがあった。

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■絶対的な信頼感で足掛け28年

 癖があってこわもて、すごく個性的、いつも大声……。

 野田会長のイメージといえば、こんな感じでしょうか。結構、外見で決めつけられている面もあると思うのですが、私たち所属タレントを大事にして守ってくれることにおいては、業界でも屈指だと思います。私はすごく信頼しています。それが芸能界デビューしたイエローキャブ時代から現在に至るまで、足掛け28年も、会長の事務所でお世話になってる理由です。

 20代の頃、こんなことがありました。ある地方のお仕事で、地元のスポンサーさんがらみの宴席にお呼ばれした時のことです。食事をご一緒するとかならまだしも、どうも私の扱い方がタレントではなく宴会コンパニオンそのもの。もちろん、そんなことは聞いていません。

 すると、会長が顔色を変えて主催者に抗議したんです。でも、先方はスポンサーさんの手前もあったんでしょう。言い繕うばかりで、状況はまったく変わらなかったんですね。すると会長は「帰るぞ!」って。そして本当に私を連れてサッサと席を後にしたんです。

 その場をどうやって収めたのかは分かりませんが、その時の雰囲気に流されたり、不本意なことや納得できないことを我慢してまでタレントにさせるってことは、私の知ってる限りでは一度もありません。だから、「会長が言うことなら」って絶対的な信頼感があって、新事務所を立ち上げた際も、私は迷わずついていくことにしたんです。

■現場で煙たがられても平気だった

 初めて会ったのは私が短大2年の1988年。たまたま渋谷へ買い物に行った際に、会長の知人のカメラマンに写真を撮っていただき、それが会長の目に留まって面談したのが、芸能界入りのきっかけでした。

 最初はグラビアモデルからスタート。でも、すぐにスケジュールが埋まったわけではありません。そんな時、当時の事務所の看板タレントだった堀江しのぶさんが病死され、連日、会長がワイドショーのインタビューに応じているのを見ました。

 その憔悴した姿から堀江さんと二人三脚で頑張ってきたことや仕事への情熱を感じ、「じゃあ、堀江さんの代わりにはなれないかもしれないけど、私が会長を支えよう!」って思ったんです。それからですね。本格的にグラビアのお仕事をするようになったのは。

 その頃の会長は肩書は社長でしたが、どちらかといえば現場マネジャーのような存在。朝から晩までずっと一緒で、グラビア撮影の時も現場から片時も離れないんです。しかも、カメラマンの真横とか真後ろにいてアングルのチェックやポーズをアドバイスする。

「れいこ、そこじゃなく、もっと右」とか「手の位置がよくない」とかね。時にはレンズの前に出てきて指示するものですから、会長の後頭部がファインダーの中に入ってしまうこともあって、カメラマンさんや編集者の方と口げんかになることもしばしばありました。

 でも、それは少しでもインパクトがあって、反響があるグラビアに仕上げたいから。仕事に対する思い入れが他の人の何倍も強いんですね。だから、現場で煙たがられても平気なんです。

 そんな会長の事務所にいたから、今もこうして仕事を続けていられるんでしょう。さすがに現在は、現場をそれぞれのマネジャーに任せ、会長として会社全体を見ていますが、仕事への意欲は衰えていないようです。まだまだ長生きして、私たち所属タレントを見守っていただきたいですね。

▽埼玉県出身。88年、芸能界デビュー。90年、第16代クラリオンガールに選ばれてブレーク。その後、歌手、女優として活躍。01年にプロゴルファー・横尾要と結婚して一時活動を休止していたが、12年から再開。
(この記事はエンタメ総合(日刊ゲンダイ)から引用させて頂きました)



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